観光について

観光を素直に楽しめなくなった

 

そう感じたのは、1週間の休暇が終わった後

スイスの観光名所
ルガーノロカルノ、ザンクト・モリッツ、ツェルマット、モントルージュネーブ、インターラーケン
と色々と見て

スイスを観光の面からすべて見たのではないかと
思ってしまった

 

実際は全然そんなことないのですが
十分だと思った

 

なぜなら
観光とは、ものを見るだけだから

観光名所にあるガイドを見ても
よくわからない現状を考えると
実際は、見物して終わり。
そして、次の場所へ

 

なかなか、新たな価値観や発見ができない
そもそも、そんなのは観光だけではなかなか出来ないのではないか?
と思います

 

僕はもっと人と話すことや
多くのことを経験しなくてはならない

 

ただ
ノリが悪い
面白くない
人間にはなりたくないので

 

しっかり、こっちでやりたいことはまとめて
書き留めておいて
もっともっと楽しい研修に
できるよう
頑張りたい

 

言葉を一番頑張らないと
先には進めない気がする

 

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日本の嫌なところ

海外に来て
日本を俯瞰的に、少し客観的に見ることが出来て
個人的に日本の嫌なところ(人によってはいいところ)が
直した方がいいのではないかと思うところが
出てきたので、羅列します

 

本当に世界には、知らない世界・文化・習慣があるので
必ずしも直さなくても問題ありませんが
知ることにデメリットはないと思います

 

・休みが少ない、働きすぎ、残業ありえない!
 しっかりと休暇を取りましょう!
 24時間営業のお店なんてなくても生きていける
 毎日仕事!仕事!仕事!は全然カッコ良くないし、美徳でもなんでもないです

 

・空気を読む、周りに合わせることは必要ない
 そんな面倒なことはしない、場の空気わかる訳ない

 

・日本人は恐らく環境に甘えすぎ
 自分のことは自分でなんとかしましょう
 相手に察してもらうことなんて、他人任せ

 

・言葉数が少ない
 細かいニュアンスの違いで、誤解されます
 何か説明するときは省略せず、丁寧に伝えましょう
 思っていることは、しっかり伝えましょう

 

・目を合わせて、話しましょう
 印象が変わると思う

 

・もっと日本人としての自覚を持つべき
 世界の多くの人が日本に関心がある
 そして、人に教えられるくらい知っておくべき

 

・英語の重要性に気づくべき
 よく英語で話しかけられる(笑)

 

・営業スマイルいらない
 別に求めてない(笑)
 心を蝕むだけ

 

・学校の成績がすべてではない
 そういう評価をしてない学校もある

 

・年齢なんて関係ない
 上下関係を重視しすぎ

 

今のところ、こんな感じですが
僕が帰国する頃にはまた増えているでしょう(笑)

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自分の弱さ

僕は弱い

 

メンタル、体力、筋力、学習能力、状況判断能力、行動力
そして、顔が弱々しい(泣)

 

そして、強くなりたい

 

海外研修開始から5ヶ月
環境がとても大きく変わって
正直、もっと早く僕の中のルールが変わることが出来ると
思っていた

 

甘ったるい考えだった

 

日本人特有?の
環境に甘えて、満足もしくは追求しなくなるところ
が出ていたと思う。

 

今まで行ったことのなかった海外に行けば、何か変わると思っていた
そんなに簡単にできるなら、誰も苦労しない

 

僕は日本にいたときと何ら変わっていない

 

自分に甘いところ
毎日コツコツができない
ネガティブ
女子苦手
周りに合わせがち
など

 

僕はこの研修で大きく変わらなくてはならない

 

なぜなら
日本一の農家になるには
このままでは非常に難しいと思うから
そして、日本の中で
僕の中の直したいところ直すことは難しいと思うから

 

だから、この1年間の研修で
変革を起こして
帰国したい

 

多くのお世話になった方々の期待に応えるため
このままでは帰れない

 

もう、8月
もしくは
まだ、8月

大きな違いがある

 

弱くては
見せる顔がない

 

ここが踏ん張りどころということだと思います。
最低限の言語・生活・仕事は出来ているが、自分らしさ、指示以上のものをできていない
やりたいことが減ってきた
そろそろ研修中間地点
ドイツ語だけでなく英語も必要だと感じた
(ドイツ語を母国語としている人々は世界で約1億人しかいない)
なんとなく、碧南・鈴盛農園での研修での失敗がここでもしている気がする
自分の直した方がいいところがわかってきた
色々省略しがち

 

現状はこんな感じです

 

僕が弱いということを皆さんに知ってほしかった
それだけです(笑)

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“苦しむこと”はとてもよいことだと思う

私は
苦しんでいるとき
とても生きている!人間である!
と感じています。

 

そして、少し幸せであると感じるようになりました

 

例えば

今自分は農業をやっているなかで
熱い中
辛い姿勢になったり
重いものを持ったり
ひたすら、同じ作業を繰り返したり

わからない言語に向き合ったり

上手くいかないことが多かったり

壁にぶつかっています。

 

なるべく楽をしたいというのが
人間の本音だと思います。

 

が、楽をするほど
人間が人間でなくなっていく気がします

 

いくらでも楽はできます
働かずに親に面倒をみてもらい、日中はゴロゴロする

 

それは生きているとは言えないでしょう

 

今の時代、ある人は自分が生きているというのを認識するために
手首を切るというのを聴いたことがあります。

 

そんなことになっているのは
色んな苦しい、面倒なことから逃げているからだと
ぼくは思います。
なるべく人と接しないで、穏やかに
食事は自分で作らず、出来合いのものを
仕事は単純明快なものを
選ぶ。

 

人は“意志”を持ってこそ

様々な苦しいことを乗り越えて

(意志があれば何もかも上手くいく訳ではないから、必ず苦しむと思う)

人は大きく成長することが出来る
強く人間らしく生きることが出来ると思います。

 

飽くなき向上心と強い意志、それを実行する能力
それらを持ち続けていきたいです!

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日本における国際交流について

国際交流について

 

今回初めて、海外に来て実感したことがあり、ここに書いておきたいと思います。

 

日本の国際交流活動って
その国の音楽、ダンスなどの文化を体験したり
その国の伝統的な料理を味わったり
その国の歴史、自然について知る講演を聴いたり

 

間接的な関わりが多いなと海外に来て感じています。

 

というのは、本当の意味での“国際交流”は
そんな簡素なものではないのではないか

と思いました

日本の国際交流は正直なところ
その国のことを知るキッカケ、始めの一歩に過ぎない
ものによっては、一歩にもなっていないものがあるのでは?
そう思います

 

ヨーロッパ(ドイツ・スイス)に来て
陸続きですぐ隣に言語・文化の異なる国があって
日本とは違って、簡単に海外に行ける

 

電車に乗っていれば、必ずと言っていいくらい外国人がいる
車掌さんが切符の確認に来て、言語で困ったことがあれば
近くの人が英語や分かりやすい言葉で手助けしてくれる。

 

4つ公用語があるスイスでは、
レストランではフランス語、ドイツ語、英語など複数言語が飛び交い
店員さんも何語で話せばいいですかと確認するなど

 

とても多文化な印象です!

 

こういう体験をすると
日本で体験していた国際的な体験がちっぽけなものに思えてきました。

言語も衣食住などの文化、それを体験?
それは体験といえるのか?

 

僕自身
まだまだスイスのことを理解したと言えるほど
言語、文化もまだまだですが

 

日本の国際交流活動を否定するわけではありませんが
東京オリンピックや外国人観光客のさらなる増加など
さらなる国際的な色が濃くなっていくと考えると
僕は日本の国民、それぞれに外国人に対する対応、意識を
作っていくべきではないかと思いました。

 

自分も含めた多くの日本人は
海外との距離感が遠い気がします。
外国人に話しかけられたら、あたふたしてしまう
そんな感じです(笑)

 

より多くのひとに
「世界は広い、一度は見たほうがいい」
と勧めたい

 

そのためにも
スイスのこと、ヨーロッパに関する多くのことを
より理解していきたい

 

そう改めて感じるのでした(笑)

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僕はこんな人間です

自分は大した人間ではなく、小さな人間であることを皆さんに知ってもらいたく
自分はその理由をここに書きます

 

自分が東京で高校生だったときは
勉強して、部活動をやって、学校行事をやって、大学受験に向けて頑張る
そんな感じの普通の高校生でした
それが、大学入学を機に東京を離れ、岩手に行き、新しいことがたくさん起こります
岩手に来てやりたいことがたくさんあり、いいなと思ったものにはほとんどに手を出しました。

 

普段の授業のほかに、岩手についての集中講義や部活動、委員会活動、農家訪問、援農、イベント参加、インターンシップ、起業家塾など
です

 

そこでは、笑ったり、泣いたり、悩んだりと色々ありました。
そして、多くの学びを得ました
ほんとに多くの方々に支えてもらい、助けてもらった、育ててもらったのだと自分は考えています。

そんなことを考えているのは
「与えられすぎた」「与えるものがなかった」
からではないかと思います。

 

起業家塾では、グループでの活動を行い、自分の中では先輩方のおかげでいい結果を残すことができたのだと考えています

 

そして、多くの農家さんには今後農業を僕自身で営んでいくためのアドバイスや僕が抱える悩みについて答えてくださいました。

僕が落ちぶれたときも、引っ張って支えてもらったこともあります

 

一方、その恩をお返しすることができているかというと僕の思ったようにはできていない
全くではないと思いますが、十分ではないです

 

与えられてばかりで、僕自身は些細なことしかお返しできていないのです
つまり、与えるものが僕のなかにあまりないということ
能力不足です

 

誰しもそうだとしても
与えられたものに対する成長の度合いや与えるもののバランスがよくない

 

そんな中、僕は成長の場を海外に求めます。
今考えてみれば、いっぱい与えられるところから逃げて、本当の意味での自分自身から多くの人に与えることのできる、オリジナルなものを身につけるためにスイスに来たのかもしれません。

 

しかし、海外に来て1か月以上過ぎ、まだまだ成長の実感はない
自分に甘い人間なようです(泣)面倒くさがり、臆病、ネガティブです(笑)
笑ってしまうほど、ちっぽけです(笑)
こんな僕を日本で助けていただいた、お世話になった方々に改めて感謝したいものです

 

しかし
今、結構なお金をかけて、わざわざスイスまで来て
ここで、顔晴れなかったらそこまでの人間
僕の人生のなかでも大きな正念場のようにも感じています

 

1日1日、1つずつ1つずつコツコツとつぶしていきたいです!

 

こんな人間ですが、今後ともよろしくお願いします

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福島・須賀川で得たもの その3


“公民館と田畑”

福島県須賀川市の農家さん、設楽さんの下での研修初日は須賀川東公民館と共同でやる設楽さんのネギの収穫、ネギをその場で食べるイベントでした

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イベントの様子

そこで、出会ったのが、公民館の方でした
「なぜ、公民館のひとが?」
と正直思いましたが
後々、話を伺うと

“人と人が集まって交流する場所”

“新たな価値観が生まれる場所”
として公民館と設楽さんのネギ畑は同じ役割をしている

という共通認識が公民館の方と設楽さんの間にありました

 

そもそも公民館は
現代に日本において住民のために、実際生活に即する教育・学術・文化に関する各種の事業を行う教育機関のことである
Wikipediaにありますが

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僕のなかでは、お年寄りか子どもたちが集まる場所、地域の集会が行われる場所くらいの認識しかありませんでした。

 

なので、今回の研修で公民館のイメージが大きく変わりました!

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公民館内の農業関連活動の発信

 

農業と公民館、僕の頭の中では全く結び付かない2つが結び付いて、岩手でも世代間交流を農業を使いながら、出来たらなと思いました!